練習なく突入した未来……電子国家エストニア、コロナ禍で生まれつつある“ニューノーマル”

f:id:syakko:20200424145250j:plain
北欧に位置するエストニアは「電子国家」として世界の注目を集めています。しかし、実際の生活がテクノロジーでどう変化しているのか、その実態は不明な部分も。エストニアに移住した筆者が見る電子国家のリアルを紹介する連載第5回です。


史上よくあるように、理性が人を動かさない場合、出来事がそれを行うことになるのです。人間が引き起こす出来事がそれを行う。その出来事は私たちの子孫がこの惑星上で暮らしていくことを難しくすると思います。彼らは私たちを呪うことでしょう。そしてそれはもっともなことなのです。
──童話作家 ミヒャエル・エンデ


教育のニューノーマル

妻のレリカはITが苦手だ。毛嫌いしていると言ってもいい。出会った瞬間からポケモンGOは禁止された。パスワードは自分の誕生日(後日変えた)。エストニアでは電子投票できるけど、投票所へ行く。セルフレジは使わず有人レジで現金払い。撮った写真もフィルタをかけたり加工したりするのはNG。幼稚園の先生をやっているが、YouTubeやゲームには批判的。

そんな彼女も最近変わりつつある。例のごとく、新型コロナウイルスによって無理やり適応を迫られている。そこから見えた、コロナをきっかけに生まれつつある教育のニューノーマルについて書きたいと思う。

Zoomにつないでトイレで踊る

彼女が働くのは、英語で運営される幼稚園。フィンランドやイラン、バングラデシュや日本の子供まで、さまざまな子が預けられている。もちろんエストニア人もいるが、少数だ。

僕も一度クラスに参加したことがある。教育機関の中で幼稚園が一番難しい、と聞いていたが、間違いないと思う。話を聞かないのは大学生も一緒だが、幼い子供は大人をよく試す。大声で騒いでみたり、こっちのことを無視したり、暴力をふるってみたり、どこまでいけるか試している。

f:id:syakko:20200424145326p:plain
幼稚園でブレイクダンスを教える筆者

そんな幼稚園も今回、コロナの影響で一時的に閉鎖せざるを得なくなった。しかし、翌年に進学する子供は幼稚園の評価表が必要になるといった差し迫った状況や、両親が働いていて子供の面倒を見切れないなどの理由によって、何かしらの対応が迫られ、Zoomクラスをやることになった。

「Skypeじゃダメなの⁉︎  なんでこんなに設定することがあるの⁉︎  意味が分からない。絶対無理」

とレリカは愚痴をこぼした。無理もない、と思った。僕も仕事ですら接続できなかったり、リアルな会議室のようなディスカッションができなかったりするのに、園児をディスプレイの前に座らせることも難しそうな中で、まともに授業ができるのだろうか。

それでもやるしかない。真面目な彼女は「無理無理」と言いながら何度も練習をしていた。彼女はリビングでZoomを立ち上げ、僕はトイレにPCを持ち込んで妻のZoomとつなぎ、考えられるテクニカルエラーのリハーサルに付き合った。彼女のシェアしたスクリーンからはHello Songと呼ばれる中毒性のある音楽動画が流れた。僕も園児になったつもりで、トイレで踊った。




繰り返していくうちに何とか慣れてきたが、いくつか課題が見つかった。まず、どうしても発生してしまうタイムラグをどうするかだ。一緒に歌う、というのは現実的ではない。絶対ずれる。あとはミュートボタン。親がつきっきりでなければ、パソコンの画面であれやれこれやれと指示するのは難しいので、基本的にこちらで操作するしかない。園児の数は最大で15人。レリカはといえば、そもそもミュートにするManage Participantsのボタンを覚えるのに精一杯だった。

Zoomクラス初日、ハプニングに焦る

いよいよZoom初日。園児は自宅からログインする。レリカは誰もいない幼稚園からログインする。僕も仕事があったが、不安だったので幼稚園からリモートワークをすることにした。幼稚園はWi-Fiが貧弱なため、モバイル回線から行うことにした。

家で何度も練習した「URLを送る」のをクラス開始10時の5分前にしたいとのことで、そのさらに5分前から秒針を見ながらディスプレイ前で一緒に待機していた。「これがミュートボタン、ビデオのオンオフ、スクリーンシェアでこのチェックボックスを……」とつぶやくレリカ。

園児は最大15人だが、初めてのZoomクラスで、さらに任意だったので、どれくらい参加するのかはわからない。2〜3人くらいかもしれない。むしろそうだったら気が楽でいいなと思っていた。

10時になった。クラス開始だ。入室ボタンを押すとこんな画面が出た。

"Zoom is too busy. Please retry later"

「どういうこと!?」

僕でも見たことがない。こんなヒントのないエラーは初めてだ。どのデバイスでログインしてもダメだった。回線を変えてもダメだった。Zoom側の問題だ。なんでよりによってこんな時に。

「やばい。親から絶対質問メールが来る。どうしよう……」

その瞬間スマホがとめどなくなり始めた。「大丈夫」と言ってみたが打つ手がない。とにかくレリカにメールに集中してもらって再起動してみて、それでもダメならサポートセンターに連絡するしかない。しかし、そうなったらどれだけ待たせることになるんだ? リスケすべきだろうか。というか今時の幼稚園の先生はこんなことも一人でやらないといけないのか。

いろんな考えが頭を廻った。再起動してもダメだった。リスケするしかないかと考えていたが、次の瞬間なぜかZoomがつながった。

ギャラリービューで一面に顔が広がる。一体何人いるんだ? 1、2、3、……15?  園児は15人のはずでは。レリカに聞くと

「園長も入ってる……」

と不安そうに答えた。こうして初めてのZoomクラスが始まった。
f:id:syakko:20200424145250j:plain

ミュートボタンを操る子供たち

ミュートボタンを自分で操る子供たち
「まずは、ミュート……ミュートボタンは左下……」
いや、それはお前がミュートになっちゃうよ!  園児をミュートにしないと……と心で唱えつつ「あ、違うManage Participantsだ」とレリカは自分で気づき、話し始めた。

クラスのルールと一緒で、園児には手を上げてもらう。それ以外の時はミュート。「わかったら手をあげて!」というと何人かの子供が「はーい!」とアンミュートして答えた。そしてミュートに戻った。最近の子供って、こういうのに慣れるのは早いんだなあと感じた。

みんな会えなくなってしばらく経っていて、話の途中にお互いアンミュートしながら話したりしていたので、レリカはそれを制止した。これは幼稚園でも一緒の光景だ。

そして、いよいよHello Song。週末から僕の頭をずっと離れなかった歌だ。

音楽が流れ始めると、子供たちは自然と踊り始めた。僕としては音のズレや声のズレが気になっていたが、子供は関係ないようだった。音楽さえクリアに聞こえていれば、他のことは比較的どうでもいいようだ。僕が事前に不安に感じていたことは、ほとんどが杞憂だった。

そして帰り際にレリカが言った。「ブルートゥースのイヤホン? ってどうやって使うの?」

ITアレルギーが薄れているうちにポケモンGOの教育的効果について語ろうか、と思ったが、今はコロナで外出できないのでやめた。

f:id:syakko:20200424161147j:plain


練習なく突入した未来

エストニアの教育はPISAで欧州1位をとるなど注目されているが、一方で政府が教育の予算を削ってビール減税に踏み切るという事件があり、「教育のお葬式」というデモが行われているなど、決して安定した状態ではない。

そんな中で注目されていたのがeKool(エーコール=e school)Stuudiumと呼ばれるオンライン学習サービスだ。文字通り、100%の学校で導入されており、教師や親の連絡ツールとしても定着している。

だが、どちらも今回のコロナショックを受けてユーザーの数が急増。初日にログインができないなどトラブルがあり、教員、親、子供をひやひやさせている。また、ログインできるのが親だけ、というケースも多かったらしく、子供が安全にログインできるよう啓発する必要もあるとのことだった。また、学校でPC環境があっても家庭にあるとは限らず、今回のリモート学習にはハードウェアの問題もあった。

PC環境については、電子国家といえども全世帯にPCが普及しているわけではない。そこで立ち上がったのが「全ての子供にPCを!(Igale koolilapsele arvuti!)」プロジェクトだ。一般人はもちろん、エストニア内のスタートアップが使わなくなったPCを寄付している。うちの会社のメールでも本件が回ってきたが、後になってこのプロジェクトの存在を知った。このおかげで、タリン市内の子供にはPCが行きわたった。第二の都市であるタルトゥでの全普及が次の課題だ。

More than 1,000 computers donated to help pupils, but more needed in Tartunews.err.ee


教育のコンテンツとして教科書だけに頼ることが出来なくなっている中、エストニアの教育研究省が率いるEducation Nationは教育系スタートアップとともに北欧のオンライン学習サービスで無償提供されているものをピックアップして教員や親をサポートしはじめた。

常に更新されているのでこれだけでも面白い記事が書けそうだが、その中でも特に子供と親の反響の高いサービスを紹介しよう。

99math.com は算数の教材としてだけでなくオンライン教育の場ではよく話に出てくるサービスで、算数を使って友達と競争する「マルチプレイヤー算数ゲーム」




動画の中の生徒の様子を見て「算数で、こんなにスポーツのように盛り上がることってあるんだ!」と感じた。実際に友人と一緒にやってみたが、大人でも十分楽しいし、数学的反射神経を鍛えるのには役に立つと思う。対象は1年生から8年生(日本でいう小学1年生から中学2年生)まで。

結果がリアルタイムで見えるので、まさに100m走を見ているような気になる。スポーツと違うところはこの戦いはリモートでも参加可能で、熱狂するということだ。

他にもサービスはたくさんある。ではこれで万全かというとそうではない。そもそも全体のカリキュラムをどう進めるのか? どうやってやったかどうかを確認するのか? 親の負担が増えるのではないか?  教師はどういう役割を担うべきなのか?  コンピュータがない家庭はどうしたらいいのか?  とにかく課題は山積みである。

「エストニアでは必要なものは揃っているとは思います。でも問題は練習することなくこんな状況に突入してしまったことです」ある教員はそう語った。

「最初の週にフォーカスしてやったことは一つだけ。それは子供の動機付けです」

夏休みの宿題の日記を、どれだけの人が毎日日誌をつけただろうか。僕は例にもれず、8月31日にすべての宿題をやる派だった。子供は監視をしなくては宿題をやらない。見ていなければルールを守らない。そしてリモートでは見ることができない。

だからと言ってリモート学習をやめることができないのが今の状況だ。その中でも方法を考えなくてはいけない。あるイノヴェ財団(エストニア教育研究省が2003年に設立した教育促進を目的とした財団)カリキュラムアドバイザーのエイナル氏はこう述べた。

「今の状況はすべての人にとって新しいものです。エストニアは幸運なことに、教師たちが自律的にものごとを決められる状況にある。だからいままで通りのことに固執することなく、柔軟性を持たなければなりません。時間割も宿題の提出日も、課題の内容だって子供それぞれでもいいのです。そして得られた知見を共有しながら何よりも落ち着いて、お互いのことを思いやっていかなくてはいけません」


Education Nation Webiner
f:id:syakko:20200509142209p:plain


僕は宿題の締め切りは守るもの、それはみんな共通、と考えていたが、それだって動かすことはできるわけだ。そもそも守らせようと思っても強制力が働かせづらい。子供の「学びたい」という意欲は学習の促進剤ではなく、前提にあるものである。

「最初の週にフォーカスしてやったことは一つだけ。それは子供の動機付けです」

同じくイノヴェ財団の担当者はリモート学習導入初週をこう振り返る。特に子供を持つ家庭の親自身が初めてリモートワークをしなければならない、というケースも多い。そんな彼らにいくつものツールを導入させても混乱を招くだけだ。

新しいルーティンをつくる

エストニアの教育関係者の中で一致した意見といえば、「ルーティンをつくる」ということだ。
f:id:syakko:20200509142242p:plain

これは子供だけでなく、親にとっても重要なことだ。通学、下校、というようなリズムがないとどうしても時間の切れ目が曖昧になってしまう。これが集中力を低下させ、結果的に学習にのめりこむことなくだらだらと時間を過ごしてしまい、勉強=早く過ぎてほしい時間となってしまう。

動機付けが必要な時期には特に、起きる時間をきっちりと決め、机に向かう時間、休憩時間、終わりの時間を決める必要がある。

こう考えると、学校のチャイムというのはシンプルかつすごい強制力を持っていたなと感じる。チャイム一つで、何百人という生徒(のほとんど)が教室へ戻るというのは、すごいことだと思う。今はチャイムがないので、親がそれをしなければならない。毎日のルーティンならまだしも、数か月、数年という単位で計画をたて実行するというのは負荷が大きすぎる。

そこで使えるのがマネジメントツールだ。
Clanbeatはコロナショック後ユーザー数が4000%を超えるなど、エストニアで最も成長率が高いEduTechと呼ばれている。
もともとは会社の1on1を助けるツールだったが、いまでは教育の領域で活用されている。社員全員が元教師という、これ以上ない組織が開発しているのも特徴的だ。

ゴールセッティング、エンゲージメントなどまさに会社向けのツールといった言葉が並ぶが、教師があくまで自律的に動く、多様な生徒のサポートに徹するという意味では、今まさに教育の現場で必要な概念なのかもしれない。

f:id:syakko:20200424160813j:plain
幼稚園からリモートワークする筆者。教育に、教育関係者以外が関わりやすくなったとも言える。

新しい習慣は、発明の育ての親

iPhoneが普及したのは「新しい携帯電話です」という文脈に乗ったからだ。「今の携帯も、買い替えかねえ?」と、今やおばあちゃんでも手元に、アポロ13号を打ち上げられそうな手のひらサイズのコンピュータを置く時代になった。

Kindleは最初「電子書籍に普通の書籍と同じお金を払うか?」といったことが議論されていたが、今となっては当たり前に払っている。(むしろエストニアにいると日本の書籍を買うのが難しいので、Kindleがないとやっていけない。個人的には紙の書籍より多少高くても関係ない)

普通、こういった変化はまず既存の習慣に新しい技術が乗っかる(iPhoneパターン)、もしくは新しい技術があり、そこに徐々に人が慣れていく(Kindleパターン)というのが通例だ。だが今回は少し違う。技術ではなく環境のほうが極端に変わった。ニーズが変わり、今までITと無縁だった領域が「やるしかない」という状況になり、新しい習慣を生み出さなくてはいけなくなっている。

これは提供者が「やるしかない」というだけではなく、消費者が「それしか選択肢がない」という状況であることに特異性がある。今、教育だけでなくイベントやカンファレンスまでもオンラインに移行し、重要な点としては消費者がそこにお金を払おうとし始めている。

一度変わった習慣、文化をてこに経済はまったく新しい日常をつくるだろう。うちの会社は先日、すべての採用プロセスを、オンボーディングを含めて初めてオンラインで実施し、オフィスに一度も来たことがない世代が生まれた。生鮮食品の配達は普及し、家のリフォームが業者に頼めなかったり美容院に行けなかったりする中でDIYする人たちが増えている。

そんなニューノーマルの片鱗をエストニアの幼稚園で見たような気がする。


こちらも合わせてご覧ください
edge.tsumug.com

edge.tsumug.com

文:高木泰弘

セントラルオクラホマ大学 マーケティング専攻。リクルートを経てコワーキングスペースsharebase.InCを創業。現在は株式会社WCSの取締役CFOとしてエストニアと日本を拠点に活動。

株式会社 tsumug | 〒810-0041 福岡市中央区大名 2 丁目 6-11 FUKUOKA growth next 301