「表に出ること」と「裏方」と

ロボティクスファッションクリエイターのきゅんくんとしても活躍する、tsumugの松永夏紀が書いたnoteを転載しました。

               

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現在酒飲んで帰ってきてしばらくベッドでだらだらして朝5時半。
4時まで酒飲んだ割には酔ってないので、自分のコアの部分を書き綴ってみようと思う。
自分にとってデリケートな部分だから、書いていてどう着地するかなんて分かっていない。

「表に出る仕事」というのがあると思っている。
私で言うと、Google AndroidのCMに出ただとか、BOSSのCMに出ただとかが分かりやすいだろうか。

他にもメディアに出たりだとかを「表に出る仕事」として認識している。
今だから話そう、2016年秋ごろ、自分は表に出る仕事がいやでいやで仕方なかった。DMM.make AKIBAの深夜の住人は、私の泣き声を聞いていたかもしれない。
なぜだろうか。自分の将来なりたい「エンジニア」からどんどん遠ざかっていく気がしてならなかったからだ。

メディアに出るときは、自分でウェアラブルロボットを着用することを求められる。
キャッチーなキャラクターを求められているわけだ。
私の当時の考えはこうだ。キャッチーなキャラクター、つまりは変な人枠でメディアに出る→エンジニアとして修業をする時間が足りない→実力もキャッチーさも無い人になる
私は人生は長いと考えている方なので、人生の先を考えて行動を決定することが多い。
どうしても「エンジニア」として実力のある人になりたかった。そのために「表に出る仕事」は当時いらなかった。

私は表に出る仕事が嫌いか?それは間違いだ。
むしろ好きだろう。なぜ好きかを説明することは難しいが、私が表に出ることで人に影響(自分にとって良いと思う影響)を与えることはうれしい。
私のセクシャルアイデンティティはふわふわだと自認しているけれど、世間的に私が表に出ることで、理系の進路を歩む女性が一人でも増えたりするとそれはうれしい。


もっと原始的に説明しよう。
マルチに俳優も音楽もやるような人に憧れていたのだと思う。
小学生の初めの頃の時の夢が(有名になれそうだから)歌手、そのうち(有名だけどスキャンダルされなさそうだから)声優、となるような人間だ。
ただ、軸があってこそのマルチだと思った。
そこで、自分の軸はエンジニアリングであった。

メディアに出る時期間違えたな、と当時よく思った。
自分の軸を育ててからメディアに出た方がよかったな、と。
今思えば、当時のあの年齢であの世界だったからメディアに出させてもらえたのだと思うし、間違っていたとは思っていない。

劇団ノーミーツに関わるようになって、脚本・演出(監督)と役者を兼ねてしまう存在に驚いた。実名を出すと、岩崎(裕介、劇団ノーミーツ作家・演出家)さんに驚いた。ノーミーツ脚本・演出の小御門(優一郎)さんだって自分で役者をやることはあるんだけど、なぜだか岩崎さんに驚いた。
岩崎さんはCMディレクターで、役者で、脚本家で演出家のお兄さん。

ノーミーツで、役者としてだと、ダルい上司の上司役とか、


CMディレクターとしてだと、黒烏龍茶のウェブCMシリーズ黒烏龍譚とか。


ノーミーツとピューロランドコラボの「VIVA LA VALENTINE」では脚本演出を手がけている。


もっとみたい人はこのまとめを見てね。



いつも飄々としていて、奇声を上げていて、でも仕事にはれっきとした渋い哲学があって、出会った当初は正直存在として羨ましかった。

ちょっとうまくまだ説明できないんだけど、広告CMについてなのかなあ、驚いた要因は。
私の中で「表に出る人」「裏方」ってのを分けすぎていたんだなってことに気付いた。
ああ、こんなシームレスでいいのかって。
商業でもシームレスであることに驚いたのかもしれない。
もしかしたら、役者とか表に出る人も作品のパーツの1つでしかないことに気付いたのかもしれない。


2016年以降エンジニアリングに時間を割くようにしてから、考えが随分変わって、作品作りというより研究がやりたいと思うようになった。
7月にやる個展では、作品作りから研究へ、というようなテーマで展示をする(研究をやる人間としては超ひよっこです)。
もうそんなに表だとか裏だとかにこだわりはなくなった。
あと月日がたって、本当に走り続けてる人間は、どんなに表に出て忙しくても鍛錬を欠かさないってことも分かった。
自分には役者をやるような演技力はないので、ノーミーツで役者をやるようなことはないだろうけど、また機会があったらメディアとか、表に出るようなことはやりたいなと思う。
研究を進めていくうちにメディアに出ないと予算取れない~とかもあったりするんかなあ(全くわからん

メディアに出るということは、コントロールできない自分の像が生まれるということだと思う。
それは面白くもあり、苦しくもある。
自分でない自分の像があるのは、いたずら心からしたら楽しい。
でも、いざ仕事やプライベートで人間対人間として対峙すると、それはとても苦しい。
その辺の折り合いがつかないと、表に出続ける人間にはなれないんだろうなあと思ったり。

折り合いのついてない、結論のないnote
途中で書いた「役者とか表に出る人も作品のパーツの1つでしかないことに気付いた」ことが最近の中では大きいのかも。
エンジニアになりたくて泣いていたあの頃の私が納得するような人生を歩んでいきたいものです。

               

noteを公開してから、岩崎さんと話す機会があった。
「人に演出をつける際に、自分が演技できる必要がある」という意味のことを言っていた。
ああ、私は「表に出る」って構えちゃってたんだ。
私がプロジェクトのディレクターをやるってなっても手を動かして設計し続けたい様に、体を動かして演技をしたいんだきっと。

中学生の時、演劇部だった。
演技をするのは苦手で、照明卓を触るのが好きで。でも1度だけ演出をやった。
幻想的なシーンで客席をめいいっぱい使って、OGに見辛かったとか言われたっけな。
稽古の時、自分は演技できないのに、ここをこうしてとか指示をしまくるわけで。
その時のもやもやを思い出した。

設計することや、演技をすることと同様に、メディアに出ることにも技術があると思う。
その技術をやるだけ、なのかもしれない。
気が楽になった。
上に書いたメディアについての気持ちは、外からの評価や目線に依存している。
もっと、気にせずに技術をやっていこうじゃないか。
結局はplayerでいたいのである。

そういや最近、プロジェクトをディレクションする仕事も「企画」という目線でplayerなのではないかと思いはじめた。
これについてはまたどこかで話そう。

文:きゅんくん

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