ナイジェリアからガーナへ、そして16歳で米コーネル大学に飛び級──アプリエンジニアのジェゲデ・ゼカライヤ:tsumug historie

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tsumugアプリエンジニアのジェゲデ・ゼカライヤ

米フロリダで生まれ、サッカーやゴルフ、ピアノ、ダンスなどに触れた幼少期を過ごすも、12歳の時に突如ナイジェリアへ引っ越し。その後14歳でガーナへ渡り、大学進学と同時にアメリカへ。その間、飛び級2回、「Grade戻り」が1回と、国も学年も行ったり来たり。そんな経歴を持つのが、tsumugアプリエンジニアのZechariah Dzegede(姓:ジェゲデ、名:ゼカライヤ、以下:愛称ゼック)です。

tsumugメンバーの半生を振り返る連載企画「tsumug historie」。ゼックの第2回目となる今回の舞台はアフリカ大陸です。

第1回はこちら
edge.tsumug.com

父の起業を機に「本当に行きたくなかった」ナイジェリアへ

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ナイジェリア時代のゼック

本格的なサッカーチームでサッカーをしながら、趣味でスケボーを楽しんでいた幼少期が12歳で一変します。引っ越しです。それも遠く彼方のナイジェリアへ。父が独立してナイジェリアで会社を設立することを決めたからです。姉、兄は大学でアメリカを離れられませんし、私だけが移りました。

当時は、本当に行きたくありませんでした。ナイジェリアではインターナショナルスクールに通いましたが、小さな学校でしたし、サッカークラブも本格的ではありません。プロを育てるようなコーチもいません。結局、サッカーに本気で取り組む環境は無くなったんです。この環境の変化でモチベーションが落ち、サッカーへの関心を失ってしまいました。

当時、ドイツのインターナショナルスクールと試合をしたことがありますが、ガチでした。プロになるようなレベルの選手が多く、強かったです。一方の私の学校はダラっとやる、遊びの延長みたいなサッカークラブですから敵うわけがありません。

そもそもナイジェリアに行きたくない、というかアメリカを離れたくなかったわけですし、サッカーもやる気を失いましたので、実はナイジェリア時代はあまりエピソードがないんです。ある意味、無気力時代みたいなものです。

テニスは少しだけやっていましたが、それも何となくしていただけですね。ナイジェリアで力を入れていたかもしれないことと言えば、勉強くらいですね。

ナイジェリアで初めて飛び級

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ナイジェリアの学校にて、同級生と(写真後列の右から2人目がゼック)

実はナイジェリアに来てすぐに、少しだけ飛び級しました。

日本の学校制度では小学校が6年、中学校が3年、高校が3年ですが、海外では国によって異なります。私が経験したのはアメリカ式とイギリス式で、ナイジェリアで通った学校はアメリカ式です。アメリカ式では小学校が5年、中学校が3年、高校が4年で、各学年は「1st Grade」から「12th Grade」までの通し番号で表します。

ナイジェリアの学校に転校した時、私は12歳で、日本の中学1年生に当たります。アメリカ式の7th Gradeです。ところが、7th Gradeの内容はほとんど知っていることばかりだったので、テストを受けて8th Gradeに飛び級しました。半年程度の飛び級ですが、初の飛び級です。その後、ナイジェリアで8th Gradeと9th Gradeは普通に学んでいます。

後述しますが、私の学歴の風変わりな点は、せっかく飛び級したのに後でGradeを一つ戻されてしまうことです。その後に改めて飛び級することになりますが、飛び級して戻って飛び級と、ちょっと変なことになっています。

14歳でガーナへ、せっかくの飛び級がまさかの「Grade戻り」

ナイジェリアには2年以上いましたが、14歳で再び国をまたいだ引っ越しです。今度はガーナです。進学先は寮制の学校だったので、家を離れて寮での暮らしの始まりです。アメリカを離れたくなかった私は、もちろんガーナにも行きたくありませんでした。

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ガーナに引っ越した後の様子(写真前列左から4人目がゼック)

実はガーナの学校に行かされた正確な理由は知りません。推測するに、父はガーナ人でしたので子供をガーナの学校に通わせたかったのだと思います。

ナイジェリアにもガーナにも行きたくなかった私の頭の中は「アメリカに帰りたい」という思いでいっぱいでした。とにかく帰りたかった。

輪をかけて気持ちを沈ませたのがGrade戻り。ガーナで通った学校はイギリス式で、10th Gradeからの入学ができなかったのです。ナイジェリアで9th Gradeを終えていたのに、もう一度9th Gradeをやり直すことになりました。

とにかくガーナを脱出してアメリカに戻りたかった私は知恵を絞りました。本当に必死ですよ。

アメリカに戻るため、飛び級でコーネル大へ

イギリス式の学校制度からアメリカ式に移る場合は、11th Gradeと12th Gradeを飛ばして大学に入ることができます。このシステムを活かして、11th Gradeと12th Gradeを飛ばしてアメリカの大学に行くことを決めました。それならガーナでは9th Gradeと10th Gradeだけ受ければいいわけですから、2年間短縮できます。要するに2年の飛び級です。

ただし、レベルの高い大学に入学するとなると難易度が上がります。単に10th Gradeまで終えるだけではダメです。優秀な成績を残す必要があります。加えて、私の場合は返済不要の給付型の奨学金も必要でした。

奨学金については母がよく知っていました。姉と兄の大学進学での経験から、母は条件の良い奨学金プログラムを探すプロになっていたんです。母が情報をまとめてくれて、あとは電話で確認すればOK、みたいな感じでスムースでした。

志望校はコーネル大学、ジョージア工科大学、カーネギーメロン大学、マサチューセッツ工科大学など、エンジニアリング分野でトップとされる大学です。奨学金の条件も踏まえてコーネル大学へ進学しました。

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飛び級でコーネル大学に入学(写真一番右がゼック)

そういえば、飛び級で16歳でコーネル大学に入学した同級生が私以外にもう一人いたんです。たまたま彼と会った時に、彼は自分が最年少だと聞かされていたみたいで、自分が最年少だと私に自慢してきたのですが、誕生日を聞いたら私の方が少し若かったんです。頭の中で「僕の方が最年少じゃん」と思ったことを覚えています(笑)。

「ファイナルファンタジー」にハマり、ゲームエンジニアを目指したことも

エンジニアリング分野に優れた大学を選んだ理由はシンプルで、その頃はゲームエンジニアか工業デザインの仕事に就くことを漠然と考えていたからです。

子供の頃、兄と一緒に色々なゲームを遊びましたが、その中にはスクウェア・エニックスの「ファイナルファンタジー」シリーズ、コナミの「メタルギアソリッド」シリーズ、バンダイナムコエンターテインメントの「鉄拳」シリーズなど、日本のメーカーの作品もありました。特にファイナルファンタジーシリーズが好きだったこともあり、将来、スクウェア・エニックスで働くことをイメージすることもあったんです。

小さな頃は兄のプレイを見ていただけですが、「ファイナルファンタジーX」あたりからは自分でもプレイしていたと思います。「ポケットモンスター」も最初の作品をプレイしていますね。「ゲームボーイアドバンス」だったかな。兄と二人で色々なゲームをプレイしました。

また、それとは別に日本語への関心もありました。大学入学後、外国語を習うにあたり、音が美しい言語にしたいと思いました。候補はドイツ語、オランダ語、日本語です。結果的に日本語を選びましたが、不思議なことに、いつどこで日本語の音を美しいと感じたのかの記憶はありません。ですが、どこかで聞いた日本語が自分の中に響き、この言語を習いたいと思ったことは覚えています。

今では日本に住んでいますが、最初に日本の地を踏んだのは大学2年か3年の時です。東京大学への約1ヶ月間のインターンシップを利用して来日しました。短期間ですが日本で生活し、東京は面白いなぁ、住んでみたい、と思いました。残念ながら当時は日本語が全然話せなくて、帰国後は積極的に日本語の勉強に取り組み始めました。

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東京大学で1ヶ月間のインターン(写真左がゼック)

さて、16歳でようやくアメリカに戻れることになったわけですが、次回は大学時代をお届けします。飛び級で2年スキップしたのに、実は大学は卒業に4年半かけています。飛び級して戻って飛び級して半年延びて。ちょっと風変わりな人生です。(第3回に続く)

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