日本での就職を目指し、Intelからグリー米法人に転職──アプリエンジニアのジェゲデ・ゼカライヤ:tsumug historie

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tsumugアプリエンジニアのジェゲデ・ゼカライヤ

アメリカで生まれ、父親の起業を機に12歳でナイジェリアへ。その後ガーナを経て、エンジニアリング分野の名門コーネル大学へ2学年の飛び級進学。

現在はフリーランスのエンジニアとして、tsumugとハードウェアベンチャーのCerevoでパラレルワークをしながら、プロレーサーを目指してバイクの練習に励む日々。そんな異色のキャリアを歩むZechariah Dzegede(姓:ジェゲデ、名:ゼカライヤ、以下:愛称ゼック)。

tsumugメンバーの半生を振り返る連載企画「tsumug historie」。第3回の今回は飛び級で入学したコーネル大学での生活と、卒業後に入社したIntel、グリー米拠点時代を振り返ります。

第1回、第2回はこちら
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「自分のスキルで何ができるか?」コーネル大学で電子工学学ぶ

必死で勉強してコーネル大学への進学が決まった私ですが、最大の原動力が「アメリカに一刻も早く帰りたい」だったのは、ちょっと普通とは違うかもしれません。

当時、ゲーム開発や工業デザインの仕事に就くことをイメージしていたと前回言いましたが、それを夢にしていたわけでもありません。どちらかというと、自分が持つスキルで何ができるのか? という基準で考えています。自分が物理、数学、コンピューターなどを学んだ場合、どのような選択肢があるのか、ということです。もちろん、金銭的、時間的にゆとりを持てる仕事かどうかも条件になります。

コーネル大学では1、2年生は共通科目で、3年生から専門を絞るようになっています。ですから、入学時に専門を決めておく必要はなく、私は電子工学で入り、3年生になってからも電子工学、コンピューターアーキテクチャーを続けました。

キツかった日本語の授業 卒業は半年遅れに

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前回お話ししたように、日本のゲームや日本語の音の美しさにひかれて日本語へ関心を持っていました。ですから、大学でも日本語の授業を取っていたんですが、これがキツかった......。

日本語しか話せない授業が毎日1時間、英語による日本語の授業が週に2回あります。大変なのは日本語しか話せない授業です。この授業はグループトークを行うもので、4対4などで日本語の会話を行います。台本がありますが、誰がどの役をやるのかは当日にならないと分からないので、事前に全ての役のセリフを覚えなければなりません。この会話には初めて習う文法、単語が入っています。分からない会話を丸暗記して授業に臨まなければならないのです。そして英語での解説授業の時に始めて詳しい解説を学びます。

私の場合は1〜2年生の頃、大学での授業の他に自分でも勉強を始めましたので、1日全体での学習時間における日本語のボリュームが大きく、とにかく大変でした。その結果、卒業が半年遅れてしまったんです。

卒業といえば、コーネル大学には少し変わった伝統があります。泳げないと、卒業できないんです。

古い大学で、昔からある伝統みたいですが、泳げない人は大人ではないと判断されるんです。50mか25mか覚えていませんが、クロールで行って、背泳ぎで帰ってきて、最後は、犬かきなど自由な泳ぎ方で戻ってくる。一往復半泳げないと卒業できないんです。実際に私の友達は泳ぎに失敗して卒業できませんでした。一旦離れて半年後に戻ってきて、再試験で泳ぎ切って、ようやく卒業したということです。確か彼は、背泳ぎで失敗したと聞きました。

少し話がそれますが、幼少期に憧れがありつつもできなかったスノボを大学に入ってようやく始めることができました。コーネル大学はカナダに近い寒い場所にあり、1年の半分くらいが冬の気候ですので、スノボをやるには最高の環境でした。

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コーネル大学の様子、1年の大半は雪が積もっている

日本での就職は断念、Intelに入るも、1年半で辞める

無事に大学を卒業した後は、米半導体大手のIntelに就職しました。

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Intel時代の写真(後列左から4人目がゼック)

スクウェア・エニックスや工業デザインはどこに行ったの? と思われるかもしれません。もちろん日本の会社への就職も考えましたが、現実的には困難でした。日本でしか面接を受け付けていない会社の場合は、面接すら受けられません。長く日本に滞在して面接を受けるのは金銭的にも難しく、結局は断念してIntelへ就職しました。Intelも良い会社ですからね。

ですが、そのIntelは約1年半で辞めました。Intelではコンポーネントエンジニアを担当しました。チップ開発における各種試験を行うPost Silicon Validationという仕事です。私のグループでは当時、サーバー向けのIA-64アーキテクチャのチップの試験を行っていました。ちょうどコードネーム「Poulson」の頃です。

チップの開発では4回ほどの試作を回します。試作して試験をして修正して、再び試作して、という流れを繰り返しながらバグをつぶして最終製品を仕上げます。

残念ながら、今では「IA-64」は無くなってしまいましたが、ちょうど私がいた時期にIA-64のメンバーが他のアーキテクチャのチームへの異動をし始めていました。私が退職したのはその頃ですが、理由はIA-64終了とは無関係です。

「人とつながりのある仕事」を求めて

当時、私は比較的大きなバグを発見しました。ランダムテストをかけてエラーを確認する試験で見つけたバグの一つに、キャッシュに特定の負荷をかけることでrootを取得できてしまうものがあったのです。ただ、私はバグをレポートにまとめて報告するだけで、自分自身で対策するわけではありませんし、試験の仕事にはお客さんがいるわけでもないので、反応が返ってくることもありません。結局、そうした仕事を「つまらない」と感じたのが退職した理由の一つです。

もう少し人とのつながりのある仕事、反響のある仕事をしたくなったこと、そして日本へ行きたいという気持ちも再び湧き上がって来ていました。日本での就職には高い壁が立ち塞がっているけども、実現に向けた手を考え始めました。

グリーの米拠点へ転職 日本での就職の足がかりに

その手というのが、アメリカ拠点を持つ日本企業への転職です。具体的にはグリーのアメリカ拠点へ移ることになります。当時のグリーはソーシャルゲームの人気によってイケイケでした。モバイルゲームプラットフォームの本格的な展開を目指してアメリカの「OpenFeint」というプラットフォームを100億円以上で買収し、サンフランシスコに拠点を開設していたのです。

しかも、グリーには交換プログラムがあり、半年間日本の拠点で働くことも可能でした。私はそのプログラムを利用して日本に行き、日本で働くことを目指したわけです。

Intelを退職したのが2012年の5月、22歳の時です。それからグリーに入社するまでの間、せっかくなので少しだけ休みを挟んで日本へ旅行することにしました。東京、大阪、京都を巡りました。

日本への旅行と、二つの「運命の出会い」

旅行の目的は観光ともう一つ、ボストンで知り合った日本人と久しぶりに会うことです。

ボストンに住んでいたインテル時代、日本語の勉強を本格的に行うようになった私は、日本人の友達を作るべく、友人が入っていたダンスサークルにいた日本人留学生と知り合いました。また、ボストンには昭和女子大学からの留学生向けの拠点があり、日本語を教えるクラスもやっていました。そこでなら日本人と直接話すことができるので、私にも何人かの日本人の友人ができました。

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日本に旅行に来た際の写真(写真中央がゼック)

実は妻のマコ(真琴)とも、そのダンスサークルに入っていた友人を介して出会いました。ダンスサークルに入っていた日本人留学生がマコの友人で、たまたまアメリカ旅行に来ていた時に初めて会ったんです。その時は2時間ほどしか話しませんでしたが、この日本旅行で再開することになりました。

ですが、私は大きな失敗をしてしまいます。マコと会うのは2回目なのに「初めまして」と声を掛けたんです。言い訳をすると、直接知っている人だけじゃなく、その知人なども参加していたので初対面の方も何人かいたんです。しかもどうも顔が違うように見えて、「初めまして」と言っちゃいました(笑)。

マコはその後、サンフランシスコの大学院に行くかもしれないということで、見学のためにサンフランシスコに来たんです。私がグリーのアメリカ拠点に転職してサンフランシスコに住んでいたので、マコから現地サポートをしてくれないかと頼まれました。その時に彼女との交際が始まりました。

また、日本での運命の出会いはもう一つあります。バイクです。

大阪に行った時に知人がバイクの後部座席に乗せてくれたんです。確か1980年代のカワサキの400ccのバイクだったと思います。ただ後ろに乗っただけなのにすごい感動でした!

バイクに乗りたいなんて言い出せない家庭環境でしたが、旅行から帰ってすぐにバイクを買いました。カワサキの「Ninja 250」です。あちこち走り回りました。

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カワサキ「Ninja 250」

着物の女性がスマホを手に──伝統とテクノロジーの調和に魅力

日本への関心はゲームや日本語の音などがきっかけですが、実際に来日して感じた魅力にも触れたいと思います。日本のどんな所を気に入っているの? という質問をされることがあります。私が魅力的だと感じるのは、伝統的な文化と近代的なテクノロジーの融合です。

アメリカにも文化と歴史がありますが、例えば200年、300年続く伝統となるとなかなかありません。一方で、日本には数百年レベルの伝統や文化がそこかしこにあります。着物もお寺も長い歴史を持っています。そして、それらの存在のすぐ側に最新のテクノロジーがあったりします。着物を着た女性が最新のスマートフォンを手にしているようなシーンです。伝統的なものとテクノロジーがうまく融合していると感じます。

しかも、日本で着物を着ることは普通です。着物オタクだけが着るわけじゃありません。ですが、アメリカで伝統的な古い服を普通に着ることはありません。強い関心を持つオタクか、コスプレ的なものだけです。日本では普通の人が伝統的な衣服を着ている、そうした古いものがうまく残っているのが素晴らしいと思います。

一歩先行くテクノロジーの存在にも魅力を感じます。例えば、かつてのガラケーは当時のアメリカの携帯電話よりも進んでいましたし、アメリカ人の感覚からすると「ウォシュレット」のようなトイレにも未来を感じます。

さて、グリーへの転職が決まったことで日本への道が開けましたが、その後も紆余曲折があります。次回は、グリー時代、その後の転職先であるレモネード(現在のLeomo(リオモ))、フリーランスになってからの生活に触れたいと思います。

第4回へ続く
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