学生向けロボコン(ロボットコンテスト)というと、日本では高専ロボコンが有名ですが、こちらは高等専門学校の生徒しか出場できず、一般の高校生は参加することができません。一方、世界に目を転じてみると、ここで紹介する「FIRST Robotics Competition」(以下FRC)を筆頭に、どのような高校生でも参加できるロボコンが多いようです。
このFRCのロボコンに出場しようという目的で結成されたチームが、さまざまな高校生が集まる「FRC Team6909 SAKURA Tempesta」です。2017年に当時高校2年だった中嶋花音(なかじま・かのん)さんが発案。名前の由来は「桜」にイタリア語の「嵐」を組み合わせたものです。
ものづくりのメディア「tsumug edge」として、そんな彼ら、彼女らのロボコンにかける熱意と情熱を、「FIRST Robotics Competition 2018」に参加した一人一人にフォーカスをあてて取材しました。
- 留学中の出会い。私がFRCに参加しようと思った理由
- プロジェクトの7割くらいが資金集めとチーム運営。FRCでとても大事な「会計」
- 500件メールしたのにスポンサー0! 私たちが最初にぶつかったハードル
- 正直「素人集団だなあ」と。僕が頑張らなきゃと思った
- 小一のときから電子工作。設計を任された若き天才
- ロボットを整備するピットには派手な飾り付けを。ハワイの地区大会とデトロイトの全国大会
- 普通の高校生がやれること以上のことはできた。
留学中の出会い。私がFRCに参加しようと思った理由
津田沼駅前の千葉工業大学。そこがこのグループの活動拠点です。教室に入ると、前回リーダーだった中嶋花音さんが黒板を前に2019年の参加に向けたスケジュールの説明をしていました。20人以上のメンバーを前に仕切る姿に力強さを感じます。まず、そもそもなぜFRCを日本から参加しようと思ったのでしょうか。
中嶋 「ミネアポリスの高校に留学していたときに、FRCに出会いました。どうしても、これに日本から参加したいと思ったんです。そこで、アメリカに留学している間に、サポートしてくれそうな日本の教育系NPO法人にメールを片っ端から送ったんです。“数打ちゃ当たる戦法”ですよね。そこで、fuRo(フューロ、千葉工業大学未来ロボット技術研究センター)の方々とご縁があり、サポートしてもらえることになったんです」
プロジェクトの7割くらいが資金集めとチーム運営。FRCでとても大事な「会計」
そのリーダーの中嶋さんの呼びかけに、最初に手を挙げたのが同級生の荻田倫那(おぎた・りんな)さんです。
荻田 「参加したきっかけは花音のFacebookの投稿でした。「日本でもFRCをやりたい」っていう投稿に“いいね”を返したら、ダイレクトメッセージが来て手伝うという話になった。「頑張れ」っていう意味で“いいね”を押しただだけなんですけどね。いつの間にか巻き込まれちゃった(笑)」
荻田さんの話を聞いていくと、FRCの本質がわかってきました。ただ単に技術を競うだけのロボコンではないようです。
荻田 「FRCって、会計が大事なんですよね。わたしは高校の生徒会で会計を担当していました。だから会計ぐらいならやれるかなと思っていたんです。でも、想像していた“会計”とは違ったんですよ。プロジェクトの労力の7割くらいは資金集めとチーム運営にかかっているんじゃないかな」
500件メールしたのにスポンサー0! 私たちが最初にぶつかったハードル
FRCに参加するための最初のハードルは、申し込み期限までにロボットの開発費を集めること。ロボットの作成キットの代金を含んだ参加費は6000ドル(日本円で約65万円)。加えて、地区大会はハワイで行われるので、その渡航費も必要でした。
荻田 「とにかく、6000ドル集めないと大会に出ることさえできないんですよ。そんな大金どうやったら集められるだろうと、真剣に考えました」
資金集めは、クラウドファンディングと企業協賛の2つの方法を選択。その中でも、企業協賛は苦労したようです。
荻田 「みんなで手分けして、500社くらいにメールを送ったんです。実はほとんど反応がなかったんですよね。メールが返ってきたのは20社くらい。11月に入って、クラウドファンディングを締め切ったんですが、その時点で20万円以上足りなかったんです。コンテストの応募締め切りまでは2週間を切っていました。クラウドファンディングである程度のお金を集めてしまったので、今さら“出場できませんでした”では、済まされないと思ったんです」
そんなとき、ある大手企業からメールが届きました。
荻田 「もう駄目だと思ったときに、電動工具メーカーであるBOSCH(ボッシュ)からメールが届いたのです。渋谷にある本社に説明に来てもらえないかというものでした。ピカピカの会議室に通されて、緊張で頭が真っ白になりましたが、BOSCHの人事の人は私たちの拙い話でもしっかり聞いてくれて、しかもプレゼン資料の修正もアドバイスしてくれたんです」
正直「素人集団だなあ」と。僕が頑張らなきゃと思った
BOSCH、オウエンブレイス、福山医科の3社の支援が土壇場で決まり、参加費を支払うことができました。しかし、次は技術的な課題に直面します。この部分をよく知るのは、中島悠翔(なかじま・ゆうと)さん。中学、高校で物理部だった中島さんは、技術的な部分の中心人物となっていきます。
中島 「2017年12月くらいからチームに加わりました。元々、高校の物理部で小さなロボットを作っていたんですけど、大きな競技用ロボットが作りたくて、このチームに参加しました。当初、千葉工業大学に見学に来たときは、正直“素人集団だなあ”と感じたんです。このままじゃ無理だ、というのが第一印象」
中島さんに、技術的な苦労話も聞いてみました。
中島 「製作する過程で苦労したのはアメリカと日本のネジ規格の違いですね。アメリカはインチで、日本はミリの規格でできているんです。インチ規格のネジを使うべきところに、ミリ規格のネジを使ってしまい、ネジ穴を潰してしまうことが何度もありました」
組み立てていた終盤に、さらに技術的な危機が訪れます。
中島 「ロボットの梱包直前に調整していたところ、スプロケットという(ロボットの)エレベーター部分に使われている部品にヒビが入ったのです。取り替えようと試みたのですが、うまくいかない。迷ったあげく、結局そのままで大会に突入することを決断しました。運がいいことに、スプロケットが完全に割れたのは大会が終わった後なんです。これは本当に運がよかった」
小一のときから電子工作。設計を任された若き天才
もう一人の技術的な立役者に、立崎乃衣(たつざき・のい)さんがいます。現在中学2年生。FRCに関わりはじめたときは、最年少の中学1年生でした。立崎さんが入ってきたとき、荻田さんは「可愛いのに、なんてできる子なんだろう」と思ったそうです。
立崎さんは、ひどい状況だけど自分が加わればなんとかできるかもしれないと思ったようです。
立崎 「見学に来てみたら、ビックリしたんですよね。NHKロボコンに匹敵するロボットを作らなければいけないのに、集まったメンバーはみんな初心者なんです。そんな初心者しかいない状態でも、自分が頑張ればどうにかなるかもという期待もあって。それに、こんな大きなロボット作れるチャンスなんてめったにないので、思い切って、参加することに決めました」
設計にはCADのソフトを使ったとのこと。
立崎 「最初は方眼紙を使って設計していました。時間がなかったので、家で仕組みを考えて、学校の休み時間に設計をしていたんです。でも、大きなロボットだと、一箇所設計をミスすると、その他の部分も全部作り直す必要が出てきて、すごく大変でした。それでCAD※で設計することにしたんです。CADの使い方は部活の先輩に少し教えてもらったあと、遊んでいるうちに覚えました。学校が終わって、千葉工業大学に来て、設計図をみんなに渡す。それにしたがって、みんなが製作を進める。そしてそこでルールとかレギュレーションとかの情報を得て、家に帰ってまた設計して、みたいな毎日でした」
※コンピューターによる設計ソフトのこと。立崎さんは、Fusion360を使っている。
立崎さんは、幼いころからロボットが好きな子どもだったようです。
立崎 「幼稚園ぐらいからものづくりが好きでした。小学1年生からは、毎年、夏休みの自由研究で電子工作をしていて、それがロボットになっていった感じですね。ロボットをはじめて作ったのは、小学3年生のときです。父親と一緒にやったんですが、父も電子工作やロボットの知識があったわけではなかったので、2人で勉強しながら作りました」
ロボットを整備するピットには派手な飾り付けを。ハワイの地区大会とデトロイトの全国大会
6週間の組み立て期間を経て、ロボットは完成しました。地区大会は2018年3月21日から24日の日程で行われ、メンバーのうち7名が地区大会があるハワイに乗り込みました。ここからの大会の様子は、ロボットの操縦担当の曽根原佑飛(そねはら・ゆうひ)さんに語ってもらいました。
曽根原 「ハワイでは、会場から徒歩20分くらいのところにある一軒家を借りました。今流行りのAirbnbで。修学旅行と学園祭を足した感じで、楽しかったです。ロボットを整備するピットには、ハロウィンみたいに派手な飾りつけするもんなんですよね。会場に着いて、他のチームをみて気づきました。とりあえず、手の空いている人たちを集めて、みんなでアラモアナショッピングセンターで飾り付けの材料を慌てて買い、徹夜で飾り付けをしていました」
曽根原さんは、ロボットをアピールするときの戦略についても教えてくれました。
曽根原 「試合は3チームで1つのアライアンス(同盟)を組み、3対3で行われるんです。アライアンス内での戦略相談を英語で行わなければならんいんですよね。予選では毎回、アライアンスが変わります。僕は英語があまり喋れないんですけど、なんとか乗り切りました。片言でもいいので、アライアンス内での主導権をとることが大事。とにかく、自分たちのロボットはなにができるかをアピールしましたね」
そして、誰もが予想していなかった結果に終わります。
曽根原 「結果は37チーム中10位。ルーキーオールスター・アワードとハイエスト・ルーキー・シードという初参加のチームに送られる賞も2つ受賞。この結果、世界大会に出場できることになったんです」
世界大会はデトロイトで行われました。戦績は67チーム中54位。ゼロから立ち上げてチームとしては、充分すぎる成果でした。奇跡的に集まったメンバーでしたが、それぞれの個性を生かして、プロジェクトをやり遂げたのです。
普通の高校生がやれること以上のことはできた。
親友同士の二人に、最後に語ってもらいました。全体の話を通して、この二人の友情からプロジェクトが生み出されたような気がしたからです。
中嶋 「プロジェクトを進めて行く中で、『もう駄目かも』と思う瞬間がたくさんありました。そんなとき、昼休みも荻田と『どうする』って相談するんです。そうすると、何かしらヒントをくれる」
荻田 「花音は、飛び込む勇気があるというのがすごいと思います。ゼロから、物事をはじめようと考えるんです。普通はそんなことを考えないですよね。自分の興味だったり、こうであったらいいという、想いをもって、ゼロから物事をはじめて最後までやり抜くというところが、やっぱりすごいなあと思います」
中嶋 「いやいやー、荻田が報告書を作るとかを裏でやってくれたから、できたんだと思います。一人では力を発揮できていなくて、二人で一人みたいな感じでした。FRCを頑張った分、学校の成績にも顕著に現れたけど(笑)。でも、普通の高校生がやれること以上のことはできたと思うので、大変だったけど、ほんとやってよかった。そして、参加してくれたみんながいろいろやってくれたから、どうにかなったというものも大きいですね」
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経験を積むに従って、僕らは臆病になっていくのかもしれません。SAKURA Tempestaのメンバーの話を聞いて、チャレンジする勇気をもらったような気がします。
- 文:藤井 武
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ライターを目指すSier勤務のエンジニア。IoT分野はただ今勉強中。tsmug edgeに関わりだしてから、家に深セン発の怪しいガジェットが増えた。中華製デジタルアンプがお気に入り。
- 写真:山﨑悠次